昨日の私に会えたら、並木通りを過ぎた交差点を右に曲がるなと伝えたい。倒れている人を見つけなければ、助ける義理は生まれないのだから。スーツをビシリとキメて阿部寛のような顔立ちをした男性が歩道に仰向けになっていた。表情は凛々しく、曇りのない目で空を見ていた。まなこに曇りがなさすぎて、私の方が間違っているのかと思った。地面に対して、垂直に立つ方が普通なはずだ。突き抜けるような青空だった。「青空は罪だ」と男性は言った。「聞いてくれるかそこの御仁。私が動けなくなったのは、この青空のせいなのだ。季節は秋に差し掛かり、先日まで続いた雨もすっかり止んでしまった。紅葉が色付いているのではないかと期待して、視線を彷徨わせたのが運の尽きだった。まだ青い紅葉の隙間から、見えた青空があまりに高く、すっかり歩けなくなってしまった。私はダメ人間ではない。青空が悪いのだ。青空が悪いのだ」男性は涙を流していた。私はさっき買ったばかりのチキンフィレオを男性の横にそっと置いた。吸い込んだ空気はやけにひんやりして、見上げた空は確かにいつもより高く見えた。お腹がグルルと鳴って、自分で食べればよかったと少し後悔した。
街灯はポツポツとついていた。道に散っている桜の花弁を靴の底でずるずると引き摺りながら歩く。24時を回る前に帰れるのは珍しい。夜飯を決めるのは面倒くさい。人通りはほとんどない。絵を描くのは昔から大好きだったけれど、今は手の腱が痛んでペンを動かすのも億劫だ。作業が遅いと怒鳴られる。昔は花見ではしゃいでいたけれど、桜並木の道を歩いても、心はビタリと動かない。家に戻っても一人で寝るだけだ。何かしないともったいない気もするけれど、スマホゲームくらいしかやる気が起きない。 ベンチがあったから、座ってみた。街灯にぼんやりと照らされていた。靴底を見ると、桜の花弁が貼り付いていた。ぐちゃぐちゃに破れた挙句に泥が混じって茶色くなっている。抗いがたい衝動があって、iPadを取り出して靴底を描き始めた。飢えた犬が餌を貪るように描いた。こんな状態でも描くのを辞められないなんて、それじゃあまるで呪いじゃないか。描き上げると少しだけエネルギーが湧いてきて、歩けるようになった。ズルズルと足を引き摺りながら家に向かう。私は絵を描くゾンビだ。絵の上手いゾンビだ。そんなことを思うと、次はゾンビの絵が描きたくなった。
いたずら心で、母の部屋を探っていると、アルバムが出てきた。中身は綺麗にファイリングしてあり、赤ちゃんの写真がたくさんあった。父はプロのカメラマンだったけれど、この頃はまだ練習中なのか、ピントが上手く合っていなかったり、手ブレが生じていたりして、綺麗な写真はあまりない。それでも写真に映る私はいつも笑っていて、幸せな時間を過ごしていた事がわかる。なんだか少し気恥ずかしい。写真の母は若くて、みたことのない表情をしていた。母は優しいけれど、どこか達観したような雰囲気がある。この写真の母はどちらかというと無邪気な感じだ。写真を見ていると、ふと違和感を覚える。この赤ちゃんにはほくろがないのだ。母が昔見せてくれた私の写真には、目元にほくろがあった。しかし、この写真の子にはほくろがない。この子は一体誰だろう。私は一人っ子だから、家族ではないのかもしれない。写真の裏を見ると、「1997.4.8」と書いてあった。私の誕生日は「2000.8.2」である。この子は誰? ギシギシと階段を上がってくる音が聞こえるけれど、私はアルバムをめくり続けた。カビの匂いがツンと鼻の奥に沁みた。